第1 何故、診断士を目指したか

当職は、令和3年5月に中小企業診断士として登録しました。

今更ですが、当職の本業は弁護士で、バッヂをつけてからも、独立してからも、20年を優に超えました。

弁護士になって当初、先輩弁護士が経営する事務所に就職しました。この事務所は企業法務、それも金融に特化した事務所であり、ここで徹底的に鍛えられました(民事介入暴力に強いという特色もあり、いわゆる反社の方々とも日常的に相対していました)。そのため独立以降も、企業法務を専門にしてきました。

独立後、幸いなことに仕事には恵まれ、色々と世間を騒がせた案件にも複数携わることができましたし、一部上場から中小まで、多種多様な企業様から顧問契約を頂いております。

弁護士としてのごく簡単な略歴は概ね以上のとおりです。同期同年代の弁護士と比較しても、少なくとも見劣りする部分はないものと自負しております。そんな当職が何故診断士資格を取得したかといえば、その理由は大きく2点であり、主としてお客様のため、従として自分自身のためです。この二つは主従関係にありますが、表裏一体の関係でもあります。

説明の便宜上、従たる理由である「自分自身のため」をご説明します。これは換言すれば勿論、自身の売上や利益を向上させるためです。

司法改革が実施されて10数年、弁護士は激増しましたが全体のパイ(仕事)は全く増えず、弁護士の平均収入も激減しました。そのため当職も、弁護士業界の先行きに非常に不安を感じました。そこでそれを打開するための対策を色々と検討した結果、診断士資格を取得してプロコンサルを兼務することとしました。(関連)業務多角化です。

一般的に経営者は、弁護士に対し敷居が高いと感じる方が多いようです。それならコンサルとしてお近づきになれば、コンサル案件のみならず弁護士案件も掘り起こすことができるのではないかと考えました。特に私的整理、M&A、事業承継などは今日スポットライトを浴びており、これらは弁護士業務とも関連性が強いので、弁護士兼診断士としてこれらの分野にも傾注するつもりです。またその一助として、令和3年8月には経営革新等支援機関(いわゆる認定支援機関)として登録しました。

一般に、弁護士の守備範囲と診断士の守備範囲とは、確実に重なる部分があると考えます。しかし、そのような業際領域では弁護士も診断士もお互い萎縮し牽制しあっている状況のようにも見受けられます。つまり、このような業際はブルーオーシャンであり、当職は法律にも経営にも通じていることを強みとして、ここに活路を見いだすこととしたのです。

次に主たる目的である「お客様のため」とは勿論、顧客満足度向上のためです。

弁護士兼診断士なので、法的サービスもコンサルティングも原則としてワンストップで提供できます。ただそれは単純なワンストップという話ではありません。いわゆる倒産村の弁護士ならともかくとして、一般的な弁護士は数字がそれほど得意ではありません。BS、PLに何が書いてあるのかも分からない弁護士は珍しくありません。かくいう当職も、診断士の勉強を始めるまでは似たり寄ったりでした。それでいて企業からのご相談案件では担当者の方々が数字に言及することも多く、そんなとき実は冷や汗をかいている場面が多かったのです。しかし現在、数字が分かるようになると多角的な見方ができるようになり、コンサルティングは言うに及ばず、法律相談にもより深みが増してきたのではないかと自画自賛しております。つまり、診断士資格を取得したことで1+1が2ではなく、5とか10になった感覚です。

しかしもっと重要なことがあります。

法的リスクがあればそれを指摘するのが弁護士の役割なのでやむを得ないのですが、弁護士は仕事柄、依頼者や相談者にブレーキをかけることが実に多いです。例えば企業がかなり気合いを入れて新規プロジェクトを立ち上げようとし、それについて法的な見解を聞かせて欲しいとご相談を受けることは多々あります。そんなとき、弁護士の模範解答の一つは、「○○という法的リスクがあるので、その点に留意頂き、そこから先、プロジェクトを進行するか否かは貴社の政策判断である」というものです。弁護士としては、そのような解答をすることは職務上不可欠なリスクヘッジでもあります。

ただ当然ではありますが、その模範解答を聞いたとき相談者の多くは落胆した顔を見せます。そこで当職はあるときから、「…というのが一般的な弁護士の模範解答である。しかしそれをもって今回の相談を終了するのは忍びない。そこで、仮に当職がもし貴社の社長なら、●●という方法を選択する」などと返答するように努めました。そして、このような姿勢はかなり好評を頂けていると思います。

ですが、この場合の「仮に当職がもし貴社の社長なら…」という政策選択は勿論弁護士の範疇を外れたものです。従って、その判断に至る過程を、一介の弁護士に過ぎない当時の当職が説得力をもって論証することはほぼ不可能であり、この点当職は忸怩たる思いを抱いておりました。

しかし診断士の資格を取得した今日、その政策判断を選択した理由を、フレームワークその他経営学の知識を駆使して説得力をもって説明することが可能になりました。

繰り返しますが、それが弁護士の職責なのでやむを得ないのですが、弁護士は依頼者相談者の方々の前向きな気持ちにブレーキを踏む役回りが非常に多いです。そこで批判を恐れずにあえて言えば、弁護士に相談しその意見に依拠するだけでは、企業は殆ど進歩できない可能性があります。

ということは、よりマクロな観点から言えば、仮に弁護士がその本来の役割や領域を逸脱し、この国の政治に必要以上に口を挟むようになったとき、この国は進歩発展が難しくなるということにもつながります。

しかしそうすると、弁護士は主要なプレイヤーとして、我が国の経済的発展のために貢献することはできないのでしょうか(当職個人としては、ちっぽけな歯車の一つでも構わないので、なにがしか我が国の経済的発展に貢献したいと常々考えてきました)。この点が、弁護士バッヂをつけて永らく自問自答してきた恐るべき難問でした。

しかし診断士の資格を取得した今日、その難問に対する自分なりの答えを見つけられたと考えております。

その自分なりの答えとは。

相談者たる企業様が誤った道を進みそうになったときはブレーキを踏む。しかし正しい道を選択したときは積極的にアクセルを踏む。それが、永い間悩まされ続けた難問に対する答えであると同時に、弁護士兼診断士である当職の真骨頂と理解しております。

第2 弁護士兼診断士として何を目指すのか・1(経営判断の原則)

この国で生まれ育った以上、この国のために少しでも貢献したいと思います。とりわけ、この国の経済の発展のために少しでも役立ちたいと思います。

相談者たる企業様が誤った道を進みそうになったときはブレーキを踏む。しかし正しい道を選択したときは積極的にアクセルを踏む。それが当職の真骨頂といいましたが、具体的にはその内容はどうか。

会社法の分野では、「経営判断の原則」という法理・原則が問題となることがあります。

前提として、取締役は会社に対して善管注意義務や忠実義務を負担しておりますが、それらの義務に違背して会社に損害が発生した場合、その損害を賠償しなければなりません。しかし、経営判断はつとめて専門的であることから取締役には相当な範囲で裁量権が認められており、その裁量権の範囲内の行為であれば、例え会社に損害が発生したとしても賠償義務を負担しません。これが「経営判断の原則」です(江頭憲治郎「株式会社法 第8版」493頁【株式会社有斐閣・2021年】)。

この「経営判断の原則」はその要件や効果が明文をもって規律されているものではなく、あくまで解釈上の法理・原則にとどまります。また、「経営判断の原則」が問題となった下級審裁判例は複数存在しますが、最高裁判例でも、いわゆる北海道拓殖銀行事件(平成20年1月28日第2小法廷判決)のほか、いわゆるアパマンショップ株主代表訴訟事件では「この場合における株式取得の方法や価格についても,取締役において,株式の評価額のほか,取得の必要性,参加人の財務上の負担,株式の取得を円滑に進める必要性の程度等をも総合考慮して決定することができ,その決定の過程,内容に著しく不合理な点がない限り,取締役としての善管注意義務に違反するものではないと解すべきであ」り、「本件決定についての上告人らの判断は,参加人の取締役の判断として著しく不合理なものということはできないから,上告人らが,参加人の取締役としての善管注意義務に違反したということはできない」と判示し、取締役の善管注意義務違反を否定しました(平成22年7月15日第1小法廷判決)。この最高裁判例は、経営判断の原則における一定の基準を示した価値があるものと評価されているようです。

これらの判例乃至裁判例法理を概観すると、取締役の経営裁量は相当広く認められる傾向にあることから、現実的に善管注意義務違反や忠実義務違反が認定される蓋然性は決して高いとはいえないと思われます。とはいえ、経営裁量の範囲は結局ケースバイケースで判断せざるを得ず、この点で取締役の方々に不安を与え、その経営決断を躊躇する場面があるかもしれません。

そこで、弁護士の知見を駆使し、取締役としての経営裁量の範囲につきここまでは安全圏だがここから先は要注意、ここから先は危険などといった分水嶺を具体的に示しつつ、その安全圏内であれば取締役の背中を積極的に押すということが、弁護士兼診断士である当職に求められる使命であろうと考えております。そしてこの深遠なテーマを、当職は残された半生のライフワークとして研究していきたいとも考えております。

第3 弁護士兼診断士として何を目指すのか・2(その他の論点)

ほかにも、現時点で気になる争点は複数存在します。以下、そのうちの3点をご紹介します。

第1に、強制労働についてです。

報道によれば、合衆国では強制労働を理由に新疆ウイグル自治区からの輸入を原則禁じる法案が成立し、同法が2022年6月下旬から施行されます。これは、税関が新疆ウイグル自治区で生産された製品を「強制労働でつくられた」とみなし、輸入を差し止め、企業が輸入したい場合、強制労働で生産されていない「明確で説得力のある証拠」を示す必要があるとするものです(2021年12月24日付WEB版日本経済新聞)。

この法律の施行により、我が国の企業にも少なからぬ影響があるものと指摘されております。

人権の重要性が指摘されて久しい今日、サプライチェーンは世界中に張り巡らされております。そうであれば、全ての企業はより人権を重視する姿勢を堅持しないと取り返しのつかないダメージを受ける恐れがあるということです。

そこで、目先の利益だけではなく人権を重視することが今後の企業経営者に求められることを、当職は実例を交えてご説明していきたいと考えております。

第2に、外国人技能実習制度についてです。

上記第1に関連することですが、当職が所属する日弁連は、例えば2018年にも外国人技能実習制度の即時廃止を求める宣言を発しております。その即時廃止を求める理由を、抜粋して下記にご紹介します。

「日本に在留する外国人労働者は…増え続けている(特別永住者を除く。外国人雇用状況届出数)。 その主たる要因は非熟練労働者の増加にあるが、非熟練労働の担い手は、技能実習生、アルバイトで働く留学生等、本来は、労働者の受入れを目的としない制度によって入国した人々である。技能実習制度では、日本の技術の海外移転という名目上の目的のために実習先を定められ、原則として職場移転の自由が認められず、雇用主に従わざるを得ないという構造的な問題がある。このため、最低賃金法違反、強制帰国等の深刻な人権侵害が生じている。留学生の相当数は、来日時の多額の借入れの返済や学費の捻出等のため、本来の学業に加えて長時間労働を余儀なくされ、週28時間以内の就労を超えた資格外活動が発覚する等して在留資格を失う者もいる。…これらの人々が地域で生活する環境に目を向けたとき、日本語学習や母国の文化を保持するための取組は、いまだ国全体の十分な取組にはなっていない。外国籍の子どもやその家族の在留等の在り方も、国際人権諸条約の諸規定に従ったものとはなっていない。外国にルーツを持つ人々への差別的言動その他の差別を根絶するための立法府及び行政府の取組もようやく端緒に就いたにすぎない」(日本弁護士連合会「新しい外国人労働者受入れ制度を確立し、外国にルーツを持つ人々と共生する社会を構築することを求める宣言」2018年)。

企業が外国人労働者を受け容れようと考える動機には色々あると思われますし、当職は一部の人権派弁護士とも異なり、それを無限定に否定するものではありません。

とはいえ当然ながら、受け入れた外国人労働者の人権が侵害されることは絶対に許されてはなりません。またそれ以前の問題として、自国の若者や高齢者等の就職難が問題となっている中で、外国人ばかりを無闇に労働力として採用しようとする姿勢には問題があるのではないでしょうか。勿論、これは個々の企業ばかりではなく、国の政策に根本原因があると思われます。

当職が最も懸念していることは、この技能実習制度については、国の内外で現代の奴隷制度であると指摘する意見がある点です。すると、安価な労働力として外国人を採用して製造した我が国の産品が、前記のウィグル自治区からの産品の輸入制限と全く同様に、人権侵害を理由として世界から閉め出される蓋然性は無視できないのではないでしょうか。当職はそのような事態を大変懸念しております。

従ってここでも、労働力の安易な確保や人件費軽減という目先の利益だけではなく、人権を重視することが今後の企業経営者に求められることを、当職はご説明していきたいと考えております。

第3に、行き過ぎた株主資本主義からの転換です。

我が国の岸田首相は令和4年1月25日の衆院予算委員会で株主資本主義からの転換について言及しました。前原誠二代議士との質疑内容は下記のとおりです(同日付衆院予算委員会議事録)。首相発言の要旨は、行き過ぎた株主資本主義は矢張り問題で、法制度の変更を含め、ステークホルダー全体、特に賃上げを重点的に考えていきたいということです。

○前原委員 …私は、自分自身が、ああ、総理がおっしゃっていることはこういうことなのかなと勝手に思っていることは、株主資本主義からの転換なんですよ、株主資本主義からの転換。

 つまりは、今の株式市場というのは…実際は、配当や自社株買いを通じて、企業から株主に過度に資金が流出しているという形になるわけですね。しかも、その株主の三割は海外の投資家です。しかも、売買額というのは、七割から八割が海外の投資家です。…このいわゆる企業の売上げというものが大量に海外に流出してしまっているということになるんですね。

 …これは、資本金十億円以上の企業の売上高、給与、配当金、設備投資などの推移というもの、財務省の統計から作ったものでございますけれども、一九九七年を一〇〇としたときに、圧倒的に増えているのは配当金なんですよ…内部留保よりもはるかに配当金が多いんですね。そして、問題なのは、よく言われるように、賃金ですよ、賃金。賃金が本当に、言ってみれば、ずっと横ばいが続いているということなんですね。

 …自社株買いをすると株主に対する還元になるということでありまして、三兆四千億円という、純利益は三兆円ですから、純利益を上回る株主還元をしているんですね。…つまりは、この配当金、株主に対して徹底的に還元されている、重視されている、そして、言ってみれば、従業員に対してはその果実が回っていない、…

○岸田内閣総理大臣 今委員から御紹介があったいわゆる株主資本主義という考え方、世界的にもステークホルダー資本主義等の言葉が使われ、多くの国で議論されてきた議論であると認識をしています。企業文化という中でこの分配を考えた場合に、おっしゃるような点、大変重要であり、そうした考え方に基づいて分配のありようを考える、これは大変重要です。

 私が申し上げているのは、この企業文化にとどまらず…社会全体について、こうした分配のありようについて考えていくべきではないか、これが基本的な問題意識であります。…その中で、御指摘がありました…株主資本主義からの転換、これは重要な考え方の一つであると認識をしております。

○前原委員 先ほど総理がおっしゃったステークホルダー資本主義、ステークホルダーという、言ってみれば利益共有者ですね、こういった人たちに対してもしっかりと目配り、気配りができるような仕組みに変えていくということは、すごく私は大事なことだと思うんです。…イギリス、フランス、ドイツなどでは、配当に歯止めをかけるような制度があるんですね。もしこれを日本で、実際、株主資本主義からの転換が必要だということ…となれば、やはり、何らかの制度、会社法制を含めた制度というものの見直しは必要だと思いますけれども、その点、総理のお考えをお聞かせください。

○岸田内閣総理大臣 おっしゃるように、株主資本主義からの転換を考える際に、民間あるいは市場や競争に任せるのではなくして、やはり、政治、政府の立場からも様々な環境整備をしていかなければならない、こういった問題意識を持っています。…やはり何といっても賃上げ部分、これが重要であるという問題意識に立ち、…今回の経済政策の中でも用意をさせていただいてきた賃上げ税制ですとか、…こういった仕掛けによって、賃上げ部分に特に焦点を当てて分配のありようを考えていきたいということを考えた次第であります。

(引用終わり)

他方で、合衆国では数年前から、行き過ぎた株主資本主義を反省する機運が出ていたようです。少し古いのですが、アラン・ケネディ著「株主資本主義の誤算」(ダイヤモンド社2002年)が大変参考になるので、その監訳者奥村宏の「監訳者まえがき」の一部を下記に紹介します。

「…その結果どういうことになったか。この本に詳しく書かれているとおりだが、株主価値重視という株主資本主義はとんでもない事態を引き起こした。古典的株式会社から経営者支配へと変質した株式会社は二〇世紀末になってさらに変質し、その矛盾をさらけ出すに至った。それを誰にでもわかる形で示したのがエンロンの倒産であった。 株主価値の重視が株価重視の経営になり、会社は将来の利益よりも現在の利益だけを考えるようになる。そこで永年会社に忠誠を尽くしてきた従業員を簡単にレイオフし、長い間続いた顧客との関係も切ってしまう。そして将来の事業のためのR&D(研究開発費)費は容赦なく切る。 こうして経営の短期主義が流行する。株主価値を高める経営をするためには経営者と株主の利益を一致させることが必要である。そこで経営者にストックオプションを与えるが、これによって経営者は自社の株価をつり上げることで巨額の財産を作ることになる。」

これは換言すれば、従前からある会社用具観と会社制度観の対立にも関連する問題です。

諸説あるとは思いますが、従前の我が国では多元的用具観が主流であり、少なくとも株主用具観が主流ということではなかったのではないでしょうか。それが、私見では1986年に労働者派遣法が施行されたあたりから年功序列や終身雇用などの従前の企業慣行が変革されはじめ、その最終到達点乃至目的地が株主資本主義の徹底だったのではないかと考えます。

但し、株主資本主義の総本山というべき米国では2001年に発生したエンロン事件を契機として株主資本主義に対する見直しが始まったということであり、我が国では20年近く遅れましたが、先の岸田首相の発言にあるとおり、ようやく株主資本主義の弊害が意識され始めたというところだと思われます。

会社において出資者が必要であることはいうまでもありません。しかし、行き過ぎた株主資本主義は短期的利益を求めるあまり、会社の中長期的な成長の芽が削がれることとなります。外国人株主にしてみれば、その投資先に魅力がなくなれば次の投資先に乗り換えれば済む話ですが、我が国のある会社が成長せず、場合によっては行き詰まることとなれば、当該会社自体は勿論、従業員その他の利害関係人、はたまた我が国の国家経済にも重大な悪影響を与えることとなります。

前記のとおり、岸田首相は株主資本主義の弊害を是正する最重要課題として賃上げを挙げるようです。当職としては、株主資本主義の弊害として賃金が上がりにくいことを含めることには異論はありません。しかし最大の懸念は、我が国が技術大国の地位から転落し、世界の最貧国かそれに近い立場まで没落することです。

我が国がいつから技術大国になったのかは諸説あると思いますし、ここではそれが問題ではありません。

ただ、資源小国とされる我が国においては、永いこと技術(工業系の技術のみならず、例えば農業畜産分野における新品種開発改良等の技術も含む)が競争優位の源泉とされてきました。しかし、その優位を維持するためには中長期的な研究開発投資が必要です。ところが株主資本主義では短期利益を求めるあまり、そのような中長期的な研究開発は疎かになります。また、我が国ではスパイ防止法が存在しないばかりか、知的財産を保全すべきという意識は未だに欧米諸国に劣っているように見受けられます。その結果、技術開発が困難となり、或いはせっかく開発した虎の子の技術も他国に流出してしまい、我が国から競争優位は失われます。そして、例えば食料ともあわせ、我が国は他国が開発した技術に依存せざるを得なくなります。これは安全保障の問題でもあります。我が国の国力は益々衰え、他の大国に隷属せざるを得なくなり、落ちるところまで落ちていきます。これは文字どおり国家存亡の危機であり、当職が最も懸念しているのはこの点です。

我が国には多くの優れた観光資源があると思います。ただ、「観光立国」とは聞こえが良いのですが、誤解を恐れずにいえば、これは国民が努力して獲得したものではないもの(自然環境など)や、或いは先人が努力により獲得して受け継がれたものなどを主たる売り物にしているだけで、未来に向けた生産性を感じることはあまりできません。その意味で当職は、技術大国である地位を放棄して観光立国になるべきという極端な主張があるとすれば、そのような主張には強く反対します。

以上から当職は、行き過ぎた株主資本主義は個々の企業は勿論のこと、我が国全体にとって極めて不幸な未来しかもたらさないことを示し、それを改めることを声高に主張していきたいと考えます。

第4 総括(渋沢栄一、三方よし)

以上、現時点で気になる複数の争点のうち、3点を挙げました。

ところで私見では、我が国の国民性として欧米の文化芸術を(時として必要以上に)尊重する傾向があると考えますが、経営の分野では、我が国にもかねてから優れた思想や伝統文化があります。それは具体的には、具体的には渋沢栄一と「三方よし」です。

第1に、渋沢栄一は「近代日本資本主義の父」として有名ですが、同人は「論語と算盤」の中で、一方で、「だいたい文明の進歩というのは、政治、経済、軍事、商工業、学芸などがことごとく進歩して、初めて真の姿を見ることができる。その中のいずれか一つが欠けても、完全な発達、文明の進歩とはいえないのだ。ところが日本では、その文明の大きな要素であるはずの商工業が、久しくなおざりにされて顧みられなかった」として、商業振興の重要性を説きます。他方で、「本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して永く続くものではない」として商業道徳の重要性を説き、また、「人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったなら、誰も満足にこの世の中で生きていくことなど不可能だろう。これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けて貰っていることになる」として国のありがたさと社会貢献の必要性を説きます(以上、渋沢栄一・著、守谷淳・訳「現代語訳 論語と算盤」199頁、86頁、96頁【株式会社筑摩書房2010年】)。

渋沢の思想について敷衍します。渋沢といえば「合本主義」と「道徳経済合一説」が有名です。まず「合本主義」の定義は必ずしも明確ではありませんが、その論考等から判断すると「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」を意味するということのようです(木村昌人「『合本主義』研究プロジェクトについて(1)」【「青淵」No.759 2012年6月号、公益財団法人渋沢栄一記念財団】)。

次に「道徳経済合一説」ですが、これは第1に、「経済は道徳に一致する」、即ち道徳を実現するための源泉となるために経済活動は正当化されるという主張を含みます。第2に、「道徳は経済に一致する」、即ち「嘘をつくべからず」、「自己利益を第一にすべからず」という二つのエッセンスから成り、道徳が経済の安定と持続的発展に不可欠という主張を含みます。そして、「道徳経済合一説」は以上二つの主張から構成されております。そのうえで渋沢栄一は「合本主義」により商工業を発展させたが、その思想的根拠になったのが「道徳経済合一説」ということです(橘川武郎、パトリック・フレデンソン編著「グローバル資本主義の中の渋沢栄一」38頁、64頁【東洋経済新報社2014年】)。

そして、渋沢やその「道徳経済合一説」については、「経営学の父」とも評されるあのピーター・ドラッカーも賞賛したほどで、渋沢の思想や功績は世界的にも評価されております。

第2に、「売り手よし、買い手よし、世間によし」といういわゆる「三方よし」の精神乃至思想は、江戸時代に遡って近江商人が広げたものとされております。即ち渋沢栄一よりさらに古い時代になりますが、我が国には、昔からこのような優れた商道徳が存在したのです。

結局、安いからという理由だけで人権侵害の結果得られた特定の資源を入手することも、また、企業を取り巻くあまたの利害関係人のうち出資者のみの利益を過度に追求することも、いずれもこの「三方よし」の精神に全く適合しないと思われます。

更に、私的な話で恐縮ですが、当職にも子供がおります。

子供が生まれて初めて、親の愛が「無償の愛」といわれる意味が当職にもようやく理解できました。それとともに、とりわけ若いときは、自分の個性や自分自身の幸福が一番重要だと考えておりましたが、それが今では、自分の利益よりも子供の将来、彼ら彼女らが生きる未来の環境を遙かに大事に考えるようになってきました。これは換言すれば、この国の歴史の中で自分の人生など儚い一瞬に過ぎず、この国の伝統文化やその他の素晴らしいものを如何に壊さないで次代に受け継ぐかが最も重要だということです。

そうであれば、三方よしの中の「世間によし」には時間的要素も含まれ、将来の我が国とその国民にとってもよいものでなければならないと当職は勝手に解釈しております。この観点から、現在の自分の利益だけを追求したり、会社やこの国の未来を他社、他国に売り渡すような軽率で無責任な挙動は絶対に許されないものと考えます。

少し思想的な話になってしまいましたので、軌道修正します。

結論ですが、これまで縷々述べてきた人権軽視の経営や、一部の利害関係人だけを過度に優遇する経営などは、法令上も経営学上も問題があることを指摘しつつ、当職は、企業経営者や役員の方々の正しい道しるべになりたいと考えております。


以  上